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武術指導をする立場として、子どもにも成人に対しても同じことなのだが、常に配慮するのは、怪我や故障をしないようにすることだ。
最近甚だ残念なことに、私のところで太極拳(※注釈1)を学んでいる中学二年生の女の子が膝を痛くしてしまった。もうひと月くらい経つがよくならないらしい。部活のバスケットボールの練習中に痛くしてしまったと言うことだ。私自身も中学生時代に同じくバスケットボールの部活で膝を故障しているので、心配していたのだが、とにかく早く完治して欲しいと願うばかりである。
この子は頑張り屋さんで、中学へ進学しても武術を続けている。部活と勉強の両立に加え、習い事の稽古もこなすのだから大変だ。若さ、生命力に感服する次第だ。当方での習い事は受験や処世に直接即効有利になる代物ではないが、彼女は気に入ってくれているようだ。老若男女を問わず、こういう出会いが増えることを私はずうずうしく望んでいるのである。
鍛えるが、怪我故障をしない。絶対しないとは当然言い切れないが、生を養える太極拳はやはり良い武術だと感心する。体の合理的な動かし方、心のあり方を学ぶことは、日常生活に役立つものであり、これこそが、老若男女を問わず、健康を望む方にお奨めをしている理由である。
現在、ある小学校の高学年の課外クラブ活動で、太極拳の指導をさせて貰っている。短時間なので、体験して貰う程度の内容だが、やはり一番配慮することは、怪我をしないようにということである。高学年ともなれば太極拳に適した体格になっているし、太極拳は丹田、腰を主に、ゆっくり丁寧に動作するものではあるが、やはり注意は必要である。このクラブ活動の顛末はまた別途書きたいと思う。
選挙が近いので、スローガンが連呼されている。子供たちの将来のため…というフレーズが多く出て来る。片や、サッカー・ワールドカップが開催中で、日本のナショナルチームはサムライと呼ばれ賞賛されている。テレビの前で、この国は子供たちをどう育てたいのだろうと考える。
吉田松陰は育成すべき人物を奇傑非常の人と言い表した。昭和の吉田松陰こと安岡正篤は、次のように言う。
これがないと人間のあらゆる徳が、したがって才智芸能も発達しません。その大事な条件は、われわれの心の中に日常生活に真剣な理想像を持つということです。もっと具体的に言うならば、「偉大な人物に私淑する」ということ。安岡正篤著『青年の大成』(到知出版社)これは青年期はどうあるべきかと言うテーマに語られたもので、これとは、熱烈な理想を持つこと、理想精神です。
指導者は大変だ。大変だと知りながら、柄にもなくずうずうしく続けているのは何なんだと我ながら思う。鈍?、否、やはり、ずうずうしいだけです。
※注釈1 太極拳 Yang style Taiji Quan のこと
平成22年7月 タキザワ ヨシオ
参議院の選挙が近づき、ある政党のテレビコマーシャルで、嘘をつかない、約束を守る、この当たり前のことを当たり前にやると言った趣旨の台詞を耳にした。テレビでは今も昔も正義のヒーローが活躍している。ヒーローが活躍しなければならない状況は果たして良いものなのかどうか。
私が所属するある組織団体は現在、民事裁判の係争中である。このことについてはまた別途詳しく書きたいと思うが、当たり前な主張にお金と時間が少なからずかかるものだと思い知らされる。簡単に言うと実に面妖な話である。会計帳簿を管理する立場の人たちが、引き継ぐ際になったら、それは無かったと嘘をつき、その後一年近くの間も隠蔽し、その事実調査が進むと、その虚偽隠蔽をやった本人たちが、名誉毀損と称して団体を提訴したのである。事実は小説よりも奇なり。これこそ正にヒーローに活躍して戴きたくなる状況ではないか。盗人にも三分の理という金言があるが、どんな理があるのか、ヒーローなら教えてくれるだろうか。
詐欺事件が明るみに出ず、泣き寝入りしてしまうのは、騙された人が恥ずかしい思いをするのを嫌がるからだと、ある人から教えて貰った。では、騙されたことに気が付いていない場合は、どうしたものか。本人はいたく幸せそうである。自信満々、誇らしげにあれこれ語ったり見せびらかしたりしている。正義のヒーローなら「君、騙されてはいけない。」と本人を諭したり、叱ったり励ましたりして悪と闘う道を行くはずだが、引き換えこちらは自分にそんな勇気があるのか無いのか、いやいや、それより、おせっかいはよろしくない、大人げない、第一おせっかいしたくなる程の人物かなどと迷いっぱなしである。迷うのは、やはりその人が可愛くないからかななどと妙に説得力のある理由に気が付いてみたりする。この発見、恥ずべきや。
平成22年6月 タキザワ ヨシオ
先日、信州プロレスさんの興行を見た。会場は長野市ビッグハット。来場者は入場制限をして五千人、見事目標達成とのこと。熱心そうなファンの方も大勢いる、いる。
信州プロレスさんの存在を知ったのは約三年前、2007年に長野市の権堂町で野外ライブをした時、同じ会場で興行をされていて、その時私は彼等に勝手に同志的な親近感を覚えた。
今回ビッグハットに出かけたのも、その気持ちがあるからだ。但しテレビコマーシャルを見逃していたら知らなかったので幸運だった。久しぶりに拝見する勇姿。支援者の数の多さには、まさしく隔世の感ありで、目覚しい躍進振りに恐れ入りました。
グレート無茶氏のスピーチで、氏が信州プロレスを一人で始めたことを知った。きっと始めてしまったのだなと私は勝手に思った。また、今回のイベントが石の上にも三年、ひとつの大きな節目であったことも語っていた。素晴らしい協力者に恵まれたこと、一人では何も出来なかったとも顧みていた。三年前と同様、彼等はとてもフレッシュで熱かった。
石の上にも三年。萩本欽一さんは五年を節目にしていると著作で知った。石の上にも。志があればこそ出て来る言葉だと思う。孔子様は十有五で立志、西郷さんは「いくたびか辛酸を嘗めて、はじめて志堅し」(西郷南洲遺訓)と言った。
三年、五年。相撲の世界には三年先の稽古という言葉があると聞く。一年や二年では駄目で、最低でも三年間、毎日毎日稽古しなければ身に付かない技があるということで、その技は簡単ではないということだ。
井伊直弼が好んだ心得、一期一会。来年のことを言えば鬼が笑う。明日のこと、夕べ、一寸先だってわからないのだから。でも、本人も笑いながら、三年先の稽古をする人だっているのである。
平成22年5月 タキザワ ヨシオ
先日、久々に入門の問い合わせがあって、ある方に我々の太極拳の稽古風景を見学して戴いた。問い合わせの電話をするのは勇気の要ることだと思う。その方は、70歳代で元気ですから始めてみたいと熱意を語ってくれたので、うちには(年齢を伺ってはいないが)もっとご高齢の方が在籍して元気にやっていますよ、どうぞお越し下さいとお答えをして、有り難くも足をお運び戴いたのだが、残念ながらご縁は続かなかった。でも有り難い。
丁度その日は、20歳代の女性に稽古をつけていた日で、その子にあなたがイケ面の男性だったら入門してくれていたのにと、その子の所為にして笑った。勿論冗談だが。
問い合わせと言えば、これは別の方の話だが、以前こんなやりとりがあった。
先方が24式と言うから、こちらが、それは簡化24式ですねと応じると、えっ?カンカって何ですかと聞かれる。歴史を話すと少し(ほんの少しだけ)長くなるから、とりあえず文字を説明する。東洋の文字、漢字は深い意味があるから良い。カンカのカンは簡単とか簡略の簡、カは化ける、化学の化と説明する。すると、先方は、「普通のじゃないんですか?」と来る。普通か否かと問われ、こちらも何と言おうか、「えーっ、」と次の言葉を探していると、「別に何でもいいんですけど…。」と来た。
「別に」発言で知名度が増すこのご時世。結局その方は入門の縁には至らず、小生の類は何でもいいの一つだったのか、それとも、何でもいいに該当するレベルではなかったのか、確かめることが出来なかったのが残念である。
平成22年5月 タキザワ ヨシオ
靴を新調したんだなと思って、その人に聞いてみると、ネットで買いました、まともに買うといくらですが、これはいくらでしたと丁寧に教えてくれる。結構な割引だと感心する。
値段をつけるのは厄介なことだと思う。まともがあって割引もある。
同じものであれば安い方がいい。ただ、それが同じものと言えるのかどうかという話は養老孟司さんの『無思想の発見』に任せるとしても、やはり、“同じ”という言葉使いが気になる。
比べてみるまでもないと言われれば、それまでだが、本当に同じかどうか実際に比較してみると楽しいことは案外あるものである。ひょっとしたら真実が覆るかもしれない。その後の人生に多大な影響を及ぼすこともあるかもしれない。但し、疑わない心が美徳と思う方や、何かと忙しい方には縁の無い話かもしれない。
本阿弥家では、子供が三つ四つのときから超一流の刀を、家中に転がしておくという。一番いいものばかりを子供に見せておくと、自然に「これはいいもの」と分かるようになる。偽物ばかり見せていると、本物とはどういうものかが分からなくなる。(日下公人著『一問に百答』から)同感。
しかし、偽物と承知で買うことだってある。それで効用があればそれでもいい。何より財布と相談が必要だ。無い袖は振れぬ。ごもっとも。だから、新調しようか、どうしようか、今日もまた、傷んで来た自分の靴を眺めてみるのである。
平成22年4月 タキザワ ヨシオ
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